マルチリンガル・トリリンガルの芸能人20選まとめ

芸能人

2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け、世界各国の人たちを受け入れようとしています。

外国人の道を聞かれて、流ちょうに外国語で道説明ができたら、かっこいいですよね。

テレビでも、数か国語の言葉が話せる芸能人が多くいます。

芸能界で生き残るには、人々を驚かせるような特技がなければ、生きていけません。

そこで、3か国以上の外国語を話せる芸能人を集めました。

城田優

 

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日本語、英語、スペイン語が話せる城田優。

東京都出身ですが、2歳から6歳までの間、スペインのバルセロナで育ちました。

幼少期にスペインに過ごしていたので、日常会話程度しかスペイン語は話せないといいます。

英語に関しては、学校の授業で習ったことと独学での習得です。

元々、英会話の授業は好きだった城田優は、外国人の先生に積極的に話しかけ、英語に磨きをかけていました。

また、映画も字幕版でみるなどし、独特な言い回し方を習得し、覚えていきました。

間違えてもいいからとにかく英語に触れて覚える」と話すほどのハングリー精神。

英語の習得には重要でした。

中谷美紀

日本語、英語、フランス語が話せる中谷美紀。

2015年の第9回アジア・フィルム・アワードで流ちょうな英語でスピーチを行い、注目を集めました。

特に留学の経験はなく、海外旅行で身につけています。

学びたい言語を使う国に行き、現地の人と話をして、語学を身につけていきました。

そして、テレビで第二の故郷を「パリ」と答えた中谷美紀。

パリの憧れは強く、自分でお金を稼いで、パリでアパート暮らしをするほど。

2018年には、ドイツ出身のビオラ奏者と結婚し、話題になりました。

また、イタリア語を話せるようなので、マルチリンガル女優でもあります!

GACKT

 

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日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語が話せるGACKT。

他国の人とコミュニケーションを取れたらどんなに楽しいだろう」と思ったころから、外国語を習得していきました。

勉強法はひたすら独り言のように、本を音読して口で覚えることです。

机に向かって勉強すると眠くなり、飽きてしまうからだそう。

コンサートの中国公演では、中国語でトークをまわしており、ファンを虜にしています。

現在、マレーシアで生活しているGACKT。

マレーシア語をすでに習得しているかもしれませんね!

知花くらら

 

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日本語、英語、フランス語、スペイン語を話せる知花くらら。

大学在学中にフランス映画に興味があり、9か月フランスへ留学したことがあります。

そして、フランス留学中にフラメンゴを学びました。

その為、3か月スペインに滞在したことがあり、フランス語とスペイン語を習得しています。

2006年には、アメリカのロサンゼルスで行われたミス・ユニバース世界大会に参加するなど、常に海外を視野にいれて活動していますね。

その為、自ら英語も必要になってくると考え、習得したと思われます。

ミス・ユニバース世界大会では、スペイン語と英語でアピールをし、世界で注目を浴びました。

LiLiCo

 

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日本語、英語、ドイツ語、スウェーデン語、スペイン語が話せるLiLiCo。

父親がスウェーデン人、母親が日本人のハーフで、18歳のときに来日するまで、スウェーデンで暮らしていました。

その為、スウェーデン語は母国語です。

日本語は来日してから覚えました。

フジテレビ放送「笑っていいとも!」などを見て、日本語を習得します。

英語、ドイツ語、スペイン語の習得方法については、明らかにされていません。

しかし、TBS放送「王様のブランチ」で映画コメンテーターとして活躍しているため、多くの映画をみてきています。

洋画もたくさんみて、語学を習得したのかもしれませんね。

ディーン・フジオカ


日本語、英語、中国語、インドネシア語が話せるディーン・フジオカ。

子どものころから字幕なしで英語の映画をみて、英語に触れていました。

そして、ITを勉強するためにアメリカの大学に進学し、英語も本格的に習得していきます。

芸能活動を本格的に始めたきっかけは香港での出来事がきっかけでした。

香港でラップを披露すると、ファッション雑誌の編集者にスカウトされ、香港でモデルの仕事をはじめています。

そして、現地で仕事をするうちに、中国語を身につけていきました。

中国だけにとどまらず、世界各国をまたぎ、芸能活動をしていたディーン・フジオカ。

2008年にインドネシアで活動することを決め、生活していく中で、インドネシア語を習得していきました。

2012年にはインドネシア人と結婚し、家族はインドネシアで生活しています。

知英

 

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日本語、韓国語、英語が話せる知英。

KARAの最年少メンバーとして活動していた知英は、韓国出身の為、母国語は韓国語です。

知英の姉は日本へ留学した経験があり、家庭で日本語に触れていました。

姉の影響もあり、日本が好きになり、日本で本格的に活動したいと思うようになり、日本語を猛勉強です。

結果的に、通訳なしで台本を読めるほどになり、日本人でも取得が難しい、日本語検定1級に合格するほどになりました。

日本語を習得し、話過ぎて韓国語をたまに忘れてしまうこともある知英。

英語の習得はKARAを卒業した後の4ヶ月で行いました。

卒業後にすぐにロンドンに留学しています。

ロンドンの語学学校に通い、猛勉強の末、ネイティブな英語を習得しました!

渡辺直美

 

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日本語、英語、中国語が理解できる渡辺直美。

台湾人の母と日本人の父親の間に生まれたハーフでしたが、両輪の離婚をきっかけに日本の茨城県へやってきました。

生まれてすぐの間しか台湾で過ごしていない為、中国語は堪能というわけではありません。

しかし、母親が台湾人ということもあり、中国語を聞き取れることができるそう。

2014年に3か月ニューヨークへ留学した渡辺直美。

現地の学校で英語を学び、日常会話程度の英語を習得しました。

高校受験に失敗し、勉強が苦手だったので、人一倍努力しました。

しかし、英語が上達しているように周りから思われず、「本当に留学したのか」と批判されることも。

渡辺直美は批判に屈せず、先輩であるオリエンタルラジオの中田敦彦に「長所を伸ばせ」と言われたことを胸に、エンターテイメント力を伸ばしていきました。

アメリカでワールドツアーを成功させ、外国人相手に臆することなく、話しかけることができるようになりました。

語学の習得よりも、より大きな収穫をして留学から戻ってきました。

現在は、ニューヨークに在住しながら芸能活動をしています。

金城武

日本語、英語、中国語が話せる金城武。

台湾人の母と日本人の父の間に生まれたハーフで、台湾で育ちました。

中学までは日本人学校に通いましたが、高校からはアメリカンスクールに通っています。

幼少期からマルチリンガルで話せるような環境で育ちました。

現在は、中国や香港を中心に芸能活動を行っており、日本での芸能活動は行っていません。

活躍の場はドラマや映画にとどまらず、現地のCMにも出演しています。

金城武はアジアで活躍する俳優となりました!

関根麻里

 

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日本語、英語、スペイン語が話せる関根麻里。

幼稚園から高校までインターナショナルスクールに通い、その後、アメリカの大学に進学し、優秀な成績で卒業しています。

学生時代から、英語の勉強に力を入れていた為、流ちょうな発音ができるまでになりました。

語学に力をいれていたのは、母親の影響でした。

また、2007年にはNHKのスペイン語講座に出演しています。

番組を通して、スペイン語を徐々に習得していきました。

インターナショナルスクールに通っていた時から、スペイン語にも触れていたのかもしれませんね。

矢部太郎

 

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日本語、韓国語、スワヒリ語、モンゴル語、コイサンマン語、中国語が話せる矢部太郎。

韓国語、スワヒリ語、モンゴル語、コイサンマン語の習得は日本テレビ放送「進ぬ!電波少年」の企画がきっかけでした。


番組内の「〇〇人を笑わしに行こう」という企画で、語学をマスターしなければいけなくなり、

アフリカ人を笑わせるために、スワヒリ語を勉強することになりました。

食事前にテストが行われ、合格しなければ、食事抜きという厳しいルールのもと、勉強。

今では考えられない過酷さですが、この状況が語学習得に火をつけました。

番組内での語学習得の経験が本として出版されています。

習得方法は、積極的にコミュニケーションをとり、リスニングを鍛えることが主な方法でした。

そして、NHKで放送された「テレビで中国語」で生徒役で出演するなど、さらに語学力を高めていきました。

春香クリスティーン

 

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日本語、英語、ドイツ語、フランス語を話せる春香クリスティーン。

日本人の父とドイツ系スイス人の母との間に生まれたハーフで、語学習得は育った環境が影響しています。

両親はお互いの言語が話せず、英語で会話が繰り広げられます。

春香クリスティーンに対しては、父は日本語を、母はドイツ語を使っていました。

その為、生活上、日本語、ドイツ語、英語は自然と習得できました。

学校ではドイツ語で過ごしていましたが、小学校でフランス語を習っています。

小学生の勉強ですから、机に向かって猛勉強という感じではなく、興味が湧くように楽しく触れて勉強していたようです。

幼少期から語学に興味を持ち、マルチリンガルへと成長していった春香クリスティーン。

日本での芸能界デビュー時には、フランス語やドイツ語で日本の芸人の一発ギャグを披露し、話題になりました!

鈴木亮平

日本語、英語、ドイツ語が話せる鈴木亮平。

小学2年生でアメリカのロスにホームステイで短期留学しました。

留学した時に、あまりに言葉が通じずに、悔しい思いをした鈴木亮平。

悔しさをバネに、英語を勉強しました。

中学2年生でオーストラリア、中学3年生にはアメリカのスポケーン、高校1年生の時にはアメリカのオクラホマ州に留学。

子供時代の海外経験によって、ネイティブな英語力を身に着けました。

鈴木亮平の勉強方法は、目標を決め、すべてを関連付けて記憶し、記憶力を強化していきました。

そして、なにより、勉強を楽しむことがポイントだといいます。

楽しんで勉強した結果、英検1級を取得しています。

ストイックな鈴木亮平は、高校時代にドイツ語を学び、全国高校生ドイツ語スピーチコンテストで見事優勝!

楽しみながら、積極的に語学を習得する姿勢を大事にしていました。

ハリー杉山

イギリス人の父と日本人の間に生まれたハリー杉山。

日本語、英語、中国語、韓国語、フランス語、ラテン語が話せます。

語学の習得に力を入れたのは、11歳のときのイギリス留学がきっかけでした。

留学先では、フランス語とラテン語をすでに5年間勉強しているクラスメイト。

ハリー杉山は、家族の影響から日本語と英語しか話せませんでした。

しかし、フランスパン屋さんを訪れた時に、絶世の美女と出会いフランス語での口説き文句を勉強して猛アタックします。

距離を縮め、クロワッサンをもらえる仲になりましたが、恋人にはなれませんでした。

しかし、恋人以上の成果があったといえますね!

道端ジェシカ

日本語、英語、スペイン語が話せる道端ジェシカ。

スペインやイタリアにルーツをもったアルゼンチン人の父と日本人の母との間に生まれました。

3姉妹の次女で、生活していくうえで、日本語とスペイン語はかかせない言語でした。

道端ジェシカが英語に興味をもったのは、モデル活動を始めた16歳の頃。

周りのモデルが英語を使っているのをみて、自分も英語を話せるようになりたいと思い始めました。

幼少期に留学はしていませんが、洋画をみてリスニングと字幕を使って勉強したり、モデル仲間との会話で英会話に磨きをかけました。

憧れる気持ちが強いと、やる気にもつながりますね!

中間淳太(ジャニーズWEST)

日本語、英語、中国語が話せる中間淳太。

台湾人の父と日本人の母の間に生まれたハーフで、小学校は中華学校や台湾の日本人学校に通っています。

その為、中国語は日常のように使っていました。

父方の祖母は台湾のセレブ出身で、教育にも熱心でした。

その為、幼稚園から英会話を習い、小学校を卒業するころには、英語と中国語はペラペラ

2001年、KinKi Kidsが台湾へコンサートへ行うため、現地で台湾のジャニーズJr.を募集していました。

中間淳太の母親は、募集の広告を見つけると、友人が履歴書を送り、オーディションを受けることに。

そして、見事合格し、関西ジャニーズJr.として活動を始めました。

台湾でジャニーズJr.を募集することがなければ、マルチリンガルで知能派な中間淳太ですから、アジアで活躍する経営者になっていたかもしれませんね。

安藤美姫

日本語、英語、ロシア語が話せる安藤美姫。

フィギュアスケーターとして、2005年から2006年のシーズンに初めてアメリカに拠点を移し、生活しました。

日本人のマネージャーと一緒に住んでいたため、英語の必要性は感じていませんでした。

しかし、2006年にニコライ・モロゾフがコーチになると、「英語が話せないと、視野が広がらない。」と言われてしまいます。

英語が苦手だった安藤美姫にとって、苦痛でした。

しかし、助言をきっかけに、現地のアメリカで生きた英語を積極的に学ぶようになりました。

世界で活躍する選手の為、世界各国の選手とともに練習する機会があります。

ロシアのセルゲイ・ボロノフと練習していた安藤美姫。

セルゲイ・ボロノフは英語が話せませんでした。

安藤美姫はロシア語を勉強したい思いから、2人はロシア語で話をしています。

聞こうとする気持ちと、伝えたいという思いさえあれば、結構通じる。」と話しています。

積極的にコミュニケーションをとることで、言語を習得していきました。

長井秀和

 

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日本語、英語、フランス語が話せる長井秀和。

2007年に「世界に通用するコメディアンを目指す」とアメリカのニューヨークへ語学留学しています。

現地で英語によるライブを1~2週間に1度のペースで開催し、芸と語学を習得していきました。

語学習得の結果、2011年に英検準1級を取得し、英語講師を務めるなどしています。

フランス語については、フランス語検定3級を取得しました。

2011年には、スイスでフランス語のネタでステージに立っています。

どのように勉強したかについては、公になっていません。

しかし、舞台経験を積むことによって、習得したようです。

言語を習得したことにより、世界各国の女性と噂されるようにもなりました。

言葉の武器というのは、大きいようです!

デヴィ・スカルノ(デヴィ夫人)

 

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日本語、インドネシア語、フランス語、スペイン語、イタリア語が話せるデヴィ・スカルノ。

デヴィ・スカルノはインドネシア国籍ですが、ハーフではありません。

インドネシアの元大統領であるスカルノの結婚したこときっかけに、インドネシア国籍を取得しています。

日本人の両親の間に生まれ、日本の地で生まれ育ちました。

デヴィ・スカルノは赤坂で勤める元ホステス。

そして、スカルノ大統領は外交や資金援助において、日本を重要視していました。

そんな中、スカルノ大統領に目を付けられ、インドネシアへ渡ることを余儀なくされたデヴィ・スカルノ。

最初は愛人として生活していましたが、夫人に昇格するまでに至りました。

その為、インドネシア語の習得は、やむを得なく習得したと言えそうです。

他にも言語を習得しています。

大統領夫人ということで、世界各国の人とコミュニケーションをとらなければいけませんでした。

そうなると、日本語や英語、インドネシア語だけではコミュニケーションがとれません。


言語の習得は、コミュニケーションをとるために必要でした。

また、コミュニケーションを積極的にとることで、言語を習得していきました。

大渕愛子

日本語、英語、中国語が話せる大渕愛子。

どのように勉強したかについては、公にはされていません。


しかし、タイタンの学校などで、中国語講師をするなど、習得した言語を活用しています。

弁護士という職業柄、世界に目を向けることも多いため、英語も習得したと思われます。

中央大学を卒業しており、現在弁護士ということもあり、かなりの知能の持ち主。

ひたすら本を読んだり、机に向かって勉強することも苦痛ではないのでしょうね。

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