若い頃美人な芸能人20選まとめ

世界の美人女性まとめ

今回は若い頃美人だった芸能人について紹介します。

もちろん、今も美人な芸能人の方も多いですよー。

石田ゆり子

石田ゆり子

1969年生まれの石田ゆり子は、都立桜町高1年生の時、自由が丘でスカウトされました。

妹の石田ひかりも同時期、二子玉川でスカウトされているので、素人の時から美人姉妹。

石田ゆり子は小学生時、水泳でジュニアオリンピック出場経験もあるアスリートです。

中学は父親の仕事の関係で台湾で過ごし、石田ゆり子はここでも水泳をやり続けています。

1987年、ANAの沖縄キャンペーンガールに選ばれCM、ポスターで芸能界デビュー。

水泳中心の生活を送っていた健康的で可憐な美少女、石田ゆり子は一躍注目されます。

芝居経験もなかったと思われますが、翌1988年にはテレビドラマに出演、俳優デビュー。

同年、早くも映画「悲しい色やねん」で主役に抜擢されるほどの人気ぶりでした。

学業の方は芸能活動が忙しくなったため、都立青山高の定時制に転向、88年に卒業。

多忙な芸能活動中でも、女子栄養大学短期大学の2部に進学、こちらも卒業しています。

現在は個人事務所の社長もやっている石田ゆり子は、才色兼備の女性と言えます。

風吹ジュン

風吹ジュン

1952年生まれの風吹ジュンは、小学生時代に両親が離婚、母親に引き取られています。

中学時代に生活力のない母親の育児放棄にあい、母親が家出をしてしまったそうです。

風吹ジュンはその後、母親の再婚を聞き、決まりかけていた日吉ヶ丘高校進学を放棄。

叔父の会社で働く兄のいる京都に向かい、住み込みの飲食業などで働いていたそうです。

風吹ジュンは18歳で上京、銀座のクラブで働き始め、在籍中にスカウトされ芸能界入り。

1973年、ユニチカのマスコットガールに選ばれ、ここで風吹ジュンは大ブレイク。

21歳の風吹ジョンの、可愛い顔なのに抜群の色っぽさが、たちまち話題になりました。

歌に自信のなかった風吹ジュンは、嫌だったそうですが歌手デビューもしました。

歌唱力はないのですが、鼻にかかった歌声と愛らしい振り付けはセクシーで人気爆発。

歌手活動を辞めた後は、ドラマ・映画で色気溢れる女性を演じるようになりました。

黒木瞳

黒木瞳

1960年福岡県生まれの黒木瞳は、父親の影響で子供の頃は剣道をやっていたそう。

演技に目覚めたのは演劇部に入った高校生の時で、卒業後は宝塚音楽学校に見事合格。

宝塚音楽学校は倍率20%以上の難関、黒木瞳は少女の頃から美少女だったのでしょう。

黒木瞳は宝塚歌劇団の月組、娘役として一時代を築き、在団中にテレビもデビュー。

朝の情報番組で司会、レポーターを始めた黒木瞳の美貌は、お茶の間でも話題沸騰。

宝塚の女性は美形で当たり前と思われていても、黒木瞳の美しい容姿は別格でした。

お茶の間の人気者にもなっていた黒木瞳の宝塚退団時は、宝塚ファンからも注目。

黒木瞳は1986年の映画「化身」出演以降、テレビ、映画にひっぱりだこになりました。

宝塚の娘役らしく愛らしい顔立ちなれど、色っぽさを兼ね備えた黒木瞳は大ブレイク。

人気絶頂の1990年、出演CMで関わった電通社員と黒木瞳は結婚、現在に至ってます。

あべ静江

あべ静江

1951年生まれのあべ静江は、東海学園女子短期大在学中、東海ラジオのDJになりました。

あべ静江は芝居の勉強をしようと思い、短大の他にもう一つ学校に通っていたそうです。

「テレビタレントセンター」というがそれで、この学校がDJになったきっかけのよう。

時代を考えると女子大生DJは珍しく、あべ静江は最初は声で人気者になっています。

人気のあべ静江は悩んだ末、短大を辞めDJとモデルで生計をたてる事を決意します。

そんなあべ静江の父親はラジオ専属ミュージッシャン、母親はラジオの専属歌手でした。

歌手にはなる気のなかったあべ静江ですが、こんな環境ですから歌手デビューもします。

1973年に歌手デビューし、テレビで歌うあべ静江の正統派美人の容姿に、誰もが注目。

「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」の連続ヒットで、同年レコード大賞新人賞。

1974年には紅白歌合戦にも出場し、あべ静江の歌唱と美貌は一時代を築きました。

麻生祐未

1963年生まれの麻生祐未は、長崎県の屈指の進学校、長崎西高に在籍してました。

高校時代から地元でモデルをしていたそうですから、若くして麻生祐未は才色兼備。

卒業後は上京、青山学院大二部に入学しますが、上京目的は芸能活動だったのでしょう。

在学中の1983年、樹由美子名義で早くもジャニーズ系映画でデビューを果たします。

芸名を麻生祐未に変えた1984年、グラビアを経由しテレビの人気番組の司会に抜擢。

こちらの深夜の人気バラエティ番組、「オールナイトフジ」の司会で注目されました。

女子大生ブームを作ったこの番組司会は、現役女子大生だった麻生祐未にぴったり。

ショートカットでお洒落で洗練した顔立ちの麻生祐未は、青学ブランドが似合いました。

翌1985年にはカネボウ のキャンペーンガールに選ばれ、水着姿をCM、ポスターで披露。

CMの日焼けした水着姿、白い歯に爽やかな笑顔の麻生祐未は、ここでブレイクしました。

女優に転向後も、麻生祐未の風貌・雰囲気は、折からのバブル景気にベストマッチ。

大河ドラマ含め、トレンディードラマの麻生祐未は象徴のような女優になりました。

杉本彩

杉本彩

1968年生まれの杉本彩は、複雑な家庭事情により高校を1年で中退。

大人びた風貌が幸いしたのでしょう、家出して京都でモデルをやっていたそう。

そんな10代の杉本彩は、芸能プロの目に止まりスカウトされ上京を薦められます。

通常なら高校生の年齢の杉本彩は、その頃から人目を引く美人だったのでしょう。

芸能界に憧れていたわけではない杉本彩ですが、自立するための近道と思い上京。

スタイル抜群で華のある顔立ちの杉本彩は、東京でもモデル稼業は順調でした。

19歳の時、人気の深夜のテレビ番組「オールナイトフジ」にアシスタントとして抜擢。

セクシーな風貌は男性に、媚びない立ち居振る舞いは女性に好まれ、人気に火がつきます。

杉本彩は映画「湘南爆走族」出演後、自分のバンドを率い学園祭中心に音楽活動を開始。

「学園祭の女王」と異名を取った杉本彩は、当時の若者達に大人気でした。

伊藤蘭

伊藤蘭

1955年生まれの伊藤蘭は、中学時代に渡辺プロダクション経営の東京音楽学院に入学。

憧れのフォーリーブスのバックで踊る、スクールメイツに入りたかったからだそう。

伊藤蘭の夢はかなってスクールメイツのメンバーになり、芸能活動を開始しています。

歌謡番組のマスコットガールとして、スクールメイツから選ばれたのがキャンディーズ。

キャンディーズ は、食べてしまいたいほど可愛いらしいという意味でつけられたそう。

そんなキャンディーズ でしたが、デビュー当初は注目度の低いグループでした。

1973年、人気テレビ番組「8時だョ!全員集合」にアシスタンスとしてレギュラー出演。

同年「あなたに夢中」でレコードデビューも果たしますが、反響は今一つでした。

1975年、伊藤蘭をイメージにしたシングル第5弾「年下の男の子」が初の大ヒット。

以降、伊藤蘭は色っぽい綺麗なお姉さんキャラで、グループ共々人気が爆発しました。

秋吉久美子

秋吉久美子

1954年生まれの秋吉久美子は、福島県で過ごした高校時代は文芸部の部長でした。

高校3年時に受験勉強中に聞いたラジオの、映画出演オーディションに応募しました。

主役オーディションは高橋洋子の次点でしたが、在学中の夏休みを利用し映画初出演。

秋吉久美子はすぐ芸能界を選ばず、大学受験しましたが失敗し、浪人になりました。

浪人中に観たアングラ演劇、はみだし劇場に秋吉久美子は感銘し、人生が変わります。

はみだし劇場の劇作家、内田栄一の夫人に身を預け、秋吉久美子は役者を目指して上京。

アングラらしからぬ可愛い顔立ちと、アングラらしい言動で注目を集めました。

秋吉久美子は1974年、映画「赤ちょうちん」のヒロイン役で、不思議な魅力がブレイク。

その後、内田栄一原作の映画に続けて出演、大胆な脱ぎっぷりも話題になりました。

秋吉久美子は70年代の時代の空気、所謂しらけ世代の若者達に圧倒的に支持されました。

小泉今日子

小泉今日子

1966年生まれの小泉今日子は、後にカミングアウトしてますが、非行少女だったそう。

中学3年時の1981年1月、テレビのオーディション番組「スター誕生」に出場。

小泉今日子は見事合格し、決勝大会において所属事務所とレコード会社が決まりました。

そんな小泉今日子ですが、レコードデビューは翌82年3月と、1年間ブランクがあります。

レッスンを重ねていたと思われますが、「スター誕生」歌手にしては珍しいパターンです。

小泉今日子は事務所の方針で、当時大流行りだった松田聖子と同じ髪型でデビュー。

松田聖子の二番煎じイメージはマイナスになり、楽曲は大ヒットには至りませんでした。

小泉今日子の人気が爆発したのは、自らの意思で髪の毛をショートカットに変えてから。

1984年シングル「渚のハイカラ人形」から、オリコン チャート3曲連続1位を獲得。

小泉今日子はトップ歌手・アイドルになり、通算11曲の同チャート1位を記録しました。

小泉今日子をCMに起用すれば、売上10%増と業界で言われるほど、人気者になりました。

大場久美子

1960年、埼玉県生まれの大場久美子は、少女の頃から芸能界志望が強かったようです。

大場久美子はまだ小学生だった1970年に、東京宝映テレビのオーディションに合格。

同社の「劇団フジ」で児童タレントとして活動し、テレビ出演も早くも果たしております。

1975年、大場久美子はテレビのオーディション番組「あなたをスターに!」に出場。

この番組で特別賞を受賞しますが、デビューは1977年と少し時間がかかっています。

満を持して「1億人の妹」というキャッチコピーで、大場久美子は大々的にデビュー。

レコード発売、映画出演で、まず大場久美子が駐目されたのは、そのビジュアルでした。

キャッチコピー通りの愛くるしい顔、可愛いらしい仕草で、男性のハートを鷲掴み。

一方、歌唱力が揶揄もされましたが、歌の練習はしなくて良いと指導されていたそう。

妹は歌がうまいより危なっかしい方が、ファンに好かれるという営業戦略だったそうです。

1978年のテレビドラマ「コメットさん」のヒロインで、大場久美子の人気は大ブレイク。

2年連続ブロマイド売り上げ1位になりますが、自らアイドルはここで終焉させています。

森尾由美

森尾由美

1966年生まれの森尾由美は、東京の中村高校在学中に女性雑誌の読者モデルに応募。

これが目に留まり事務所にスカウトされ、1982年にテレビドラマでデビューしています。

1983年にはレコードデビュー、キャッチコピーは「レモンチックな17歳」でした。

芝居の稽古期間や歌の練習期間もなかったであろう、高校生読者モデルの森尾由美。

そんな森尾由美に、すぐに仕事が殺到したのは見た目の可愛さ、可憐さからでしょう。

笑顔爽やかな女の子、可愛い振り付けのアイドルの森尾由美の人気は爆発しました。

仕事が忙しくなり過ぎて、森尾由美は出席不足のため3年生になれず高校を2回留年。

明大中野定時制転入、通算6年かけ、森尾由美は仕事をやりながら高校を卒業しています。

女優に専念した森尾由美は、1990年代のトレンディードラマの常連女優になりました。

バラエティ番組の出演により、人柄と頭の良さを感じさせるトークも人気を呼んでいます。

南野陽子

南野陽子

1967年生まれの南野陽子は、兵庫県のお嬢様学校と言われる松蔭女子学院に入学。

高校1年の時、友達と大阪の公開番組を観にいき、その時にスカウトされました。

両親は大反対しましたが、南野陽子は上京を決意し東京の堀越高に編入しました。

高校3年時、テレビドラマに高校生役でデビューしますが、まだ注目はされませんでした。

所属事務所が弱かったのか?南野陽子の性格なのか?、自ら売り込みを積極的に行います。

その甲斐あって、講談社のミスマガジンのコンテスト外で「マガジンメイト」に採用。

南野陽子はグラビアで注目され、その後に1985年に歌手デビュー、舞台も経験します。

同年秋、フジテレビの人気ドラマ「スケバン刑事」の、第2作の主役に南野陽子は抜擢。

南野陽子はこの番組によって人気が爆発、歌手としてもシングル3弾目がヒットしました。

1987年1月から8曲連続オリコンチャート1位、1988年にはブロマイド売り上げも1位。

1990年頃まで、南野陽子はテレビ、映画、歌手、企業CMと素晴らしい活躍でした。

浅田美代子

浅田美代子は1956年、東京の港区麻布で、自動車修理工場を営む家庭に生まれました。

時代的に、浅田美代子が回想する幼少時の想い出は、まさに映画「三丁目の夕日」。

お嬢様学校と伝わる東京女学館入学後の浅田美代子は、噂の可愛い女の子だったそう。

高校2年生の時、そんな浅田美代子は明治神宮外苑でスカウトされました。

両親は芸能界入りに大反対、浅田美代子本人も怖くて最初は断り続けたそうです。

事務所側は交渉で、人気テレビドラマ「時間ですよ」のオーディションへの参加を提案。

浅田美代子の親は受かるわけがないと思い、落ちたらこの話は二度としない約束で応募。

2万5千人の参加者、浅田美代子本人も控室で遭遇する女の子達は皆、綺麗な子ばかり。

自分は落ちる、合格するわけがないと思っていたそうですが、浅田美代子は見事に合格。

高校を自主退学して、「時間ですよ」のお手伝いさん役で女優デビューしました。

その愛くるしいルックスで浅田美代子は一躍注目を集め、レコードも発売され大ヒット。

芝居も歌も素人だった浅田美代子が、国民的女性アイドルになったのは事件でした。

大塚寧々

大塚寧々

1968年生まれの大塚寧々は、日大芸術学部写真学科在学中、モデルデビューしています。

1988年、週刊誌の女子大生表紙シリーズの、オーディションに合格したのがきっかけ。

応募したのは大塚寧々の母親で、動機は娘がカメラマン志望と勘違いしたからでした。

現場の厳しさを知れば、娘がカメラマンの夢を諦めると思ったからだそうです。

表紙を飾った大塚寧々の、都会的で知的でクールな美しさは、一気に評判を呼びました。

人気の大塚寧々は、カネボウ化粧品、夏のキャンペーンガールオーディションにも合格。

時代はバブル真っ盛り、大塚寧々の日焼けした肌に可愛い顔のCM、ポスター は大人気。

大塚寧々は約3年、モデル・大手企業CMをやり続け、CMの女王と呼ばれていました。

そんな大塚寧々ですから、女優としての誘いもあったようですが、断わっていたそう。

理由は周りに女優志望の人が多かったので、その気もない自分がなるのは申し訳ない。

そんな性格の大塚寧々なので、女優の誘いにOKするまで、約3年かかったわけです。

天海祐希

天海祐希

天海祐希は1967年生、東京の台東区上野で生まれています。

演劇部だった中学2年の時、天海祐希は宝塚歌劇団の入団を志望、その準備に入ったそう。

菊華高(現・杉並学院)2年修了後の1985年、宝塚音楽学校に首席で入学しました。

「東の東大、西の宝塚」と言われるほど、今も昔も宝塚音楽学校は超難関で有名です。

天海祐希は、既に高校時代から才能は勿論、一目で美女とわかる風貌だったのでしょう。

1987年、天海祐希の夢は叶い宝塚歌劇団入団、同年初舞台で宝塚ファンに注目されます。

初舞台から7年、月組トップスター天海祐希の退団は、マスメディアを騒がせました。

171cmで端正な顔立ちと美貌を誇る、元タカラジェンヌの天海祐希の去就は注目の的。

既に舞台経験も十分にある天海祐希は、テレビドラマ・映画、そしてCMと引っ張りだこ。

天海祐希は宝塚ファン以外、特に男達から熱い注目を集めるようになりました。

鈴木京香

鈴木京香

1968年生まれの鈴木京香は、3歳頃から日舞を習い、中学時代は陸上部に所属。

鈴木杏香は美しい少女だったのでしょう、スカウトされ仙台市にある芸能事務所に所属。

東北学院大在学中に、既に鈴木杏香はモデルの仕事をやっておりました。

1988年、そんな鈴木京香二十歳の時、カネボウ 水着キャンペーンガールに選出。

時代は浮かれ気分のバブル真っ只中、水着もビキニは勿論、ハイレグ登場の頃です。

端正な顔立ちに166cmの高身長、B88・W59・H89のスタイル抜群の鈴木京香。

そんな水着姿の鈴木京香のテレビCM、ポスターに、男達の眼は釘付けになりました。

1989年には、早くも映画・ドラマデビューしますが、鈴木京香の大ブレイクは1991年。

古の名作のリバイバル、NHKの朝ドラ「君の名は」のヒロイン真知子に抜擢されました。

全国放送、平均視聴率29,1%の「君の名は」により、鈴木京香は名前と顔が売れました。

若村麻由美

1967年生まれの若村麻由美は、淑徳高時代に無名塾の舞台を鑑賞し、感銘を受けたそう。

高校卒業後に若村麻由美は、その仲代達矢主宰の「無名塾」に入塾しました。

「無名塾」の入塾倍率は、東大レベルと言われるほどの狭き門、難関の劇団です。

若村麻由美は、その美貌だけでなく、演技も塾生の時から群を抜いていたのでしょう。

1988年、若村麻由美は、NHK連続テレビ小説「はっさい先生」の主役に応募。

723名の中から主演を射止め、仲代達矢に祝福と激励を受け役に挑んだそうです。

「坊っちゃん」の女性版と言われた「はっさい先生」は大人気、最高視聴率は44.5%。

若村麻由美の着物姿の純日本的な可憐で美しい容姿は、デビュー作にして話題沸騰。

人気の若村麻由美は、その後、現代劇含めテレビドラマを中心に大ブレイクしました。

武田久美子

武田久美子

1968年生まれの武田久美子は、子供の頃からタレント志望の目立ちたがり屋だったそう。

中学生の時に「第2回東大生が選ぶアイドルコンテスト’81」に自ら応募し、見事優勝。

武田久美子は、1,263人の中から東大生が選んだアイドルとして当時、話題になりました。

その美少女ぶりと中学生とは思えない色気で、武田久美子は芸能界デビュー前から人気。

これをきっかけに武田久美子はスカウトされ、映画「ハイティーン・ブギ」に大抜擢。

「ハイティーン・ブギ」は当時人気の「たのきんトリオ」主演映画で、主題歌もヒット。

映画公開時、14歳のヒロイン役の武田久美子の可憐な美少女ぶりは、男達に人気爆発。

翌1983年にアイドル歌手としてもデビューしましたが、ヒットに恵まれませんでした。

武田久美子はテレビドラマ、映画出演、以降はグラビアや写真集で話題を集めました。

成人を超えると写真集は露出の激しいものが増え、アイドルを自ら離脱しました。

東てる美

東てる美

1956年生まれの東てる美は、中高一貫で渋谷の私立実践女子学園で学んでいました。

東てる美は大学に進まず、父の知人の縁でピンク映画の女優を選択しました。

1974年、東てる美は日活のロマンポルノに出演、若くて可愛く色っぽい容姿が注目。

創設まもない話題の日活ロマンポルノで、東てる美はすぐにトップ女優になりました。

東てる美は雑誌のグラビアは勿論、レコードもシングル、アルバムが発売される大人気。

東京12チャンネル「あなた眠っちゃいや!」、日本テレビ「11PM」にレギュラー出演。

ロマンポルノの人気女優は、他にも何人もおりましたが、東てる美はアイドルでした。

その後、ロマンポルノはアイドル 的な人気女優を沢山輩出しますが、元祖は東てる美。

その後は映画、テレビドラマで、女優として確固たる地位を築き今に至っています。

松坂慶子

松坂慶子

1952年生まれの松坂慶子は、小学校2年の時に「くるみ児童合唱団」に入団してます。

中学生になった松坂慶子は演劇部に入部、3年の時に「劇団ひまわり」に入団。

子供向けドラマ「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」、「ウルトラセブン」に出演。

日大二高2年時、松坂慶子は大映にスカウトされ、同年には映画デビューも果たしてます。

経営危機だった大映は、製作費の安い若い女優のお色気映画に、路線変更していました。

松坂慶子も抜擢され、1971年に主演映画を撮りましたが、ヒットには至りませんでした。

同年、人気テレビドラマ「おくさまは18歳」に、高校生役で途中出演し注目されます。

正統派美人で大人びた松坂慶子が、同年代の男に話題になるのは、この番組からでした。

松坂慶子は松竹移籍後、NHK大河ドラマでの姫役で、全国的に有名になりました。

そんな松坂慶子はテレビ、映画で美人女優として一斉を風靡、一時代を築き上げました。

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